
あの赤いポッチ(トラックポイント)にも、深〜いこだわりがあるんです!
製品の舞台裏に目を向けると、普段何気なく使っている一台のノートパソコンにも、驚くほど多くの試行錯誤や技術者の情熱が込められていることに気づかされます。
ThinkPad開発の過程をひもとくことで、モノづくりに込められた真剣な想いや工夫の深さを、誰もが感じられるはずです。


画像出典:Happy 25th Birthday ThinkPad!
ThinkPad開発の裏にあった情熱と哲学


ThinkPadは、ただのノートパソコンではありません。
その背後には、技術者たちの情熱と、「使う人の力を最大限に引き出す道具でありたい」という一貫した哲学が流れています。
本書では繰り返し、「私たちが作りたいのは、PCという“製品”ではなく、それを使って生まれる“成果”そのものです」というメッセージが登場します。
つまり、ThinkPadとは“仕事の成果を支える存在”でありたいという強い想いから生まれた道具なのです。



PCじゃなくて成果を作る。これはもう、道具というより“相棒”ですね。
こうした想いは、ハードウェアの細部にまで徹底されています。
たとえば、キーボードの中央に配置された赤い「トラックポイント」。
この小さな入力デバイスは、ホームポジションから手を動かさずにマウス操作ができるという、効率性を追求した設計。ThinkPadを象徴する存在として、多くのユーザーに愛され続けています。
さらに、キーボードの下には「ドレインシステム」と呼ばれる構造があり、万が一の水こぼしにも対応。内部に染み込まず、底面から液体を排出できるのです。
ドレインテストの様子です!
他にも、入力時の快適さを追求した打鍵感や、静音性と冷却性能を両立したファン設計など、ThinkPadは“現場で本当に使える道具”であることをとことん追求しています。
なぜここまで徹底するのか?
それは、開発者たちが実際の使用シーンをとても深く想像しているからです。カバンの中に放り込まれ、出先では膝の上で作業されることもある。ときには過酷な環境で長時間稼働することもある。
そんな現実を見据え、「壊れにくく、快適に、そして成果につながる」ことが、ThinkPadの本質なのです。



なんでここまでこだわるの?と思ったけど、“現場目線”で考えたら納得かも…!
「無限大にユーザーのプロダクティビティを高めるもの、それが私たちの目指す究極のThinkPadなのです」という開発者の言葉からも、その思想の深さが伝わってきます。
そして、もうひとつ驚きの事実があります。
初期のThinkPad構想では、なんと筐体カラーは“白”だったのだとか!
しかし、IBMのデザイン顧問リチャード・サッパー氏が「松花堂弁当」に着想を得て、シンプルで洗練された“黒”に変更。


その結果、ThinkPadは“無駄をそぎ落としたプロフェッショナルな佇まい”を持つ、唯一無二の存在として世界に知られるようになりました。
こうして見てみると、ThinkPadがなぜ今も多くのビジネスパーソンに選ばれ続けているのか、その理由がよくわかります。「変わらない信念」と「変えていく勇気」、その両方が宿った“仕事のための道具”なのです。
ThinkPadは、名前にも開発者の思想がしっかり詰まっています。シリーズごとに明確なコンセプトがあり、その方向性が名称に反映されているのです。
- 🖥️ Aシリーズ:Alternative to a desktop computer(デスクトップに代わる性能)
- 💼 Tシリーズ:Think and light notebook(思考する人のための軽量ノート)
- ✈️ Xシリーズ:eXtra-light, eXtra small ultraportable(とにかく小さくて軽い相棒)
ネーミングからも「仕事をする人の武器として」という視点が伝わってきますね。
変わりゆく時代と、変わらなかったThinkPadの本質


2005年、パソコン業界に激震が走りました。
IBMが、そのPC事業を中国のレノボに売却したのです。
「ThinkPadってIBMの顔みたいな存在じゃなかったっけ…?」
当時、多くの人がそんな驚きと不安を抱いたのではないでしょうか。



えっ、あのThinkPadが中国企業に…!?って、当時、本当にざわついたの覚えてます。
実際に現場でも、動揺が広がっていたようです。
本書の著者・内藤氏も、「正直、社内でも大きな不安があった」と率直に語っています。
とはいえ、ThinkPadの開発を担っていたエンジニアたちは、その多くがレノボへと移籍。
内藤氏自身も、一時は大和研究所を離れたものの、のちにレノボのもとで再び開発リーダーとして復帰します。
つまり、会社の看板が変わっても、“中の人たち”はそのまま残っていたのです。
内藤氏のカリスマ的なリーダーシップにより、ThinkPadの“魂”は人から人へと受け継がれていったのです。



ロゴが変わっても、魂はちゃんと受け継がれてたんですね
そしてもうひとつ、大きな変化がありました。
それは、レノボではPC事業が“主力事業”として位置づけられていたことです。
IBM時代は、PCはあくまで全体の一部。しかし、レノボにとっては、“PCが主役”。その分、予算も人員も積極的に投入されるようになりました。
これにより、IBM時代には難しかった新しいカテゴリの開拓が進みます。
たとえば、エントリー向けの「SLシリーズ」や、スタイリッシュさと価格を両立した「Edgeシリーズ」などが登場しました。


特にEdgeシリーズでは、“ThinkPadらしさ”である堅牢性を保ちつつ、コストダウンに挑戦。
素材や構造を何度も見直しながら、使いやすさを損なわずに価格を抑えるという、極めてチャレンジングな取り組みが行われました。
結果として、多少重さはあったものの、1年で100万台という大ヒットを記録します。
“守るべきもの”と“変えるべきもの”を見極めたうえでの進化が、見事にユーザーの支持を集めたのです。



“安いけどThinkPad”って、まさにEdgeの立ち位置でしたよね!
本書ではまた、開発現場で奮闘するエンジニアたちのリアルな姿にも触れられています。
特に印象的なのは、30代の技術者たちが「プレイヤーとして開発を続けたい」という想いと、「マネジメントとしてチームを支える責任」の狭間で揺れる姿です。
現場で手を動かす喜びと、組織の中で人を導く役割の葛藤――これは技術者に限らず、多くのビジネスパーソンが共感できるテーマではないでしょうか。
ThinkPadがこれほどまでに長く愛され続けているのは、「変化を恐れず、でも根っこにある価値は絶対にぶらさない」――そんなブレない姿勢に支えられているからなのだと、本書を読んで深く感じました。
グローバルで戦う開発体制と「大和研究所」の役割
ThinkPadの開発において、心臓部ともいえる存在――それが、日本にある「大和研究所(やまとけんきゅうじょ)」です。


この拠点は、1990年代のThinkPad誕生期から現在に至るまで、ずっと開発の最前線を担ってきました。
技術力はもちろんのこと、ユーザー視点の細やかな設計思想を大切にする文化が、ここには脈々と受け継がれています。
ところが2010年、レノボ傘下となって数年後、中央林間にあったこの大和研究所は、やむなく移転を迎えることになりました。
拠点名をどうするか――。これは大きな議論になりましたが、最終的に「大和」の名は残されることになります。
その理由は、エンジニアたちの愛着はもちろんのこと、長年協業してきたパートナー企業からも「大和研究所という名前は、信頼の象徴だ」という声が多数寄せられたからです。



“地名”じゃなくて“ブランド”として残ったんですね。すごい話です…!
その後、開発体制は世界へと広がっていきます。
現在では、日本・中国・アメリカの3拠点が「イノベーショントライアングル」を形成し、グローバルで協力しながら製品開発を進めています。
これを統括していたのが、当時CDO(チーフ・デベロップメント・オフィサー)となった内藤氏さんです。
異なる国、異なる文化、異なるタイムゾーン――。
そんな多様な開発チームをまとめあげるのは、簡単なことではありません。
それでも内藤氏は、「最高のPCは、最高のエンジニアからしか生まれない」という信念のもと、世界中の力を結集して開発を牽引していきました。


一方で、技術の進化とともによく議論されるようになったのが、「PCってタブレットやスマートフォンに置き換わるのでは?」という話題です。
本書では、それに対して明快にこう語られています。
「PCはプロセッサ性能と効率を突き詰めた“仕事の道具”であり、タブレットとは根本的に違うものです」
つまり、ThinkPadは今も昔も、“仕事をさばくための武器”なのです。
この考え方こそ、ThinkPadの開発思想のど真ん中にあるものなのだと、改めて実感します。
さらに、レノボはインテルやマイクロソフトと連携し、「Wintel」と呼ばれる協業体制を構築。
これにより、起動やシャットダウン時間を劇的に短縮する「Lenovo Enhanced Experience」なども実現されました。
ハードとソフトの両面から、ユーザー体験を高めていくこの姿勢も、まさにThinkPadらしいアプローチです。
そして何より印象的だったのが、そんなグローバル開発の先頭に立っていた内藤氏自身が、「英語でのコミュニケーションにとても苦労した」と、正直に語っていることです。



世界を舞台にしてても、“言葉の壁”はやっぱりあるんですね…。
世界の最前線で、文化や言葉の違いを超えて開発に挑む――。
その姿勢と努力こそが、ThinkPadを“世界で通用するプロダクト”たらしめているのだと感じさせられます。
レノボが目指す“真のグローバル企業”とは


ThinkPadの物語を語るうえで、欠かせないのが「レノボ」という会社のあり方です。
中国発のグローバル企業であるレノボは、IBMからPC事業を受け継いだ後も、ThinkPadというブランドをしっかり守り、進化させてきました。
その背景には、「真のグローバル企業とは何か?」という問いに対する、レノボなりの明確な答えがあるのです。



“グローバル”って言うけど、ただ海外に支社があるだけじゃないんですよね。
本書第5章では、ThinkPadの父・内藤氏はこう指摘しています。単に「海外進出している」とか、「売上の大半が海外から」だからといって、真のグローバル企業とは言えない、と。
それは、意思決定に関わる人材や価値観が偏っている場合、どうしても一方通行の組織文化になってしまうからです。
一方でレノボは、その逆を行きます。
経営陣には、中国、アメリカ、日本、オーストリア、フランスなど、さまざまな国籍のメンバーが参画。
異なる視点がぶつかり合いながらも、フラットに議論し、グローバルな意思決定を行っています。
さらに、レポートラインもグローバルで構成されており、上司が外国人というのが当たり前という環境。
社内には「どこか一国に従属するのではなく、グローバルにバランスを取る」という風土が根付いています。
このように、レノボが考える“真のグローバル企業”には、次の3つの柱があります。
- グローバルにオペレーションができること
- 経営の多様化(国際色豊かな経営陣と柔軟な経営手法)
- グローバルに通用する企業文化を持つこと
この3本柱があるからこそ、レノボは多様な市場で柔軟に戦い続けられているそうです。
さらに特筆すべきは、レノボの持つ“しなやかさ”です。
一度決めたことに固執するのではなく、状況の変化に合わせて柔軟に方針を変えていく――。この柔軟性が、激しく変化するグローバル市場の中で、大きな武器になっているのです。
その一例として挙げられているのが、2011年の「NECレノボ・ジャパン」発足。
これは単なるM&Aではなく、「日本市場に強いNEC」と「グローバル開発力を持つレノボ」が手を取り合い、補完関係で成長していくための戦略的提携でした。
NECが持つ日本市場への深い理解、信頼されるブランド、きめ細かい開発ノウハウ。そこに、レノボのスケールとスピード、コスト競争力が組み合わさることで、より高品質で競争力ある製品が生まれたのです。



NECとレノボのコラボ、最初は驚いたけど、今ではすっかりお馴染みに。
最後に、内藤氏が語っていた印象的な言葉をご紹介します。
「これからの時代は、労働時間ではなく、プロダクティビティ(生産性)で人が評価されるようになる」
これはまさに、ThinkPad開発者たちが追い求めてきた「仕事をさばくための道具を作る」という思想と、深くつながる考え方です。
時間をかけて仕事をしたからえらい、ではなく、限られた時間の中で、いかに成果を出せるか。
そのための強力なツールとして、ThinkPadは存在しているのだと、改めて胸に響きます。
本書を読んで感じたこと―技術者の想いがプロダクトを作る


『ThinkPadはこうして生まれた』を読み終えて、もっとも心に残ったのは「プロダクティビティ(生産性)」という言葉でした。
この本では何度もそのキーワードが登場し、「どれだけ働いたか」ではなく、「どれだけの成果を出せたか」が大切なのだと繰り返し語られています。
これは、いまを生きるすべてのビジネスパーソンにとって、胸に刻むべきメッセージではないでしょうか。
そして、ThinkPadという製品こそが、「生産性を最大化するための道具」として、長年多くの人の仕事を支えてきたことを、改めて実感しました。
また、この本を通じて、レノボという企業の姿もとてもリアルに感じ取ることができました。
IBM時代から始まったThinkPadの歴史は、会社が変わってもその本質が揺らぐことはありませんでした。
それは、ロゴや経営体制がどうであれ、「ThinkPadらしさ」を守り続けたエンジニアたちの存在があったからです。



ブランドって、誰かの“想い”の集まりなんだなぁ…
ブランドとは、会社の戦略やマーケティングだけでつくられるものではありません。
それを信じ、こだわりを持って磨き続ける“人”によって育まれていくものなのだと、深く感じました。
そして忘れてはならないのが、著者である内藤氏の人間味あふれる姿です。
“ThinkPadの父”として知られる彼が、どれだけの情熱を持って製品づくりに向き合ってきたか。
その裏側には、エンジニアとして現場に立ち続けたいという想いと、リーダーとしてチームを導かなければならない責任のはざまで葛藤する姿も描かれています。
こうしたエピソードは、技術者だけでなく、日々の仕事で役割に悩むすべての人に響くものだと思います。
結局のところ、製品とは「人」がつくるもの。
ただのモノではなく、“想いのこもった道具”こそが、使う人の心を動かし続ける。
本書は、そのことをやさしく、そして力強く教えてくれました。
ThinkPadが好きな方はもちろん、モノづくりに関わる方や、ブランドに携わるすべての方にとって――
学びと共感、そして背中を押してくれる力をもらえる一冊です。
書籍紹介
- 第1章:ThinkPadを生んだ哲学・葛藤・技術
- ノートパソコンの開発はEMI(電波障害)との戦いから始まった
- 700Cの成功で定まったThinkPad未来
- 持ち運びができるPCを日本につくらせよう!
- 皆が、新しい領域を開拓するという達成動機に突き動かされていた
- ThinkVantageやクラウドという考え方の原点
- 「君背負ってるぞ、パスポート」という苦悩は続く
- 第2章:製品のその先を追求したモノづくり
- 実現したい顧客価値の前に数値目標があるのはおかしい
- いくらしゃべっても真似されない、ノウハウは言外にある
- プロフェッショナルのためのツールがワークスタイルをも変える
- ノートPCがセキュリティにこだわるのは、日本人のワークスタイルを変えたいから
- 第3章:IBMからレノボへ。変わらぬ品質とたゆまぬ進化
- レノボへの転籍―ThinkPadのロゴは私たちが持っていく
- PC事業は主力事業となった。3年間我慢して、それから裾野を広げ始めた
- 安価なゾーンにフレクシビリティを持ってThinkPadを投入していく
- 第4世代のThinkPadはスタイリッシュも重視した第3章:IBMからレノボへ。変わらぬ品質とたゆまぬ進化
- 第4章:イノベーション・トライアングルの先にあるもの
- 「大和」という名前は、地名ではなくブランドにまで昇華されていた
- 3カ所の研究開発センターを擁するグローバル企業の素顔
- 大和研究所をメインサイトにイノベーショントライアングルを活性化する
- この先にあるThinkPadの未来形 マチュア・デバイスの素顔
- WINTELとの協業で、独自の世界観も生まれている
- 第5章:真のグローバル企業だからなし得ることがある
- レノボが実践するグローバル企業の条件と成長要因
- NECレノボ・ジャパングループの発足は手放しで喜ぶべき出来事だ
- プロダクティビティを高めれば、パーソナルライフも充実できる
- 最初は不可能であっても、頑張って最後は真実にすればいい
内藤在正(ないとうありまさ)
レノボ・ジャパン株式会社取締役副社長。研究・開発担当。レノボ・グループプロダクト・グループバイス・プレジデント。チーフ・デベロップメント・オフィサー(CDO)レノボ・フェロー。1952年愛知県生まれ。1974年慶應義塾大学工学部計測工学科卒。日本アイ・ビー・エム株式会社入社。1989年より携帯型PC、ノートブックPC(ThinkPad)開発を担当。1994年IBMシニアテクニカルスタッフメンバー
貴重な内藤氏のインタビュー動画みつけました!



